「第13回 幕川温泉に避難」
避難先がなかな、決まらなかったんです。飯舘村はホテルや旅館、あるいは借り上げ住宅に入るようにしていたんです。
やっと、役場で「奥土湯温泉ならあります」と言われたんです。「宿が2軒あって、そこなら今から行けます」と。私の頭の中にあったのは福島市の土湯温泉の中を流れている川の奥にあるのかな、と思ったんです。
2011年6月4日、避難所に指定された幕川温泉に向かいました。山の中で、秘湯の一つです。初めて行きましたが、本当に温泉があるのかな、と思うほど狭い道を走り続けた先でした。
そのとき、じいちゃんたち二人があの世に行くときは、近所の人は誰もいないんだと思ったんです。見送ってくれる近所の人がいないと。絶対、この二人を帰村させなきゃいけないと思ったんです。
飯舘村は菅野典雄村長が帰村まで「2年」と言っていました。私は3年かかると思ったけど、もう、3年たっちゃいましたよね。
人間、目標がはっきりすれば我慢できるでしょ。その後、延長するのはまだ、我慢できる。でも、最初から10年と言われるとねぇ。村長が2年と言ったことを、うそつきという気はないですよ。村にはそういう人もいますけどね。長いと目標にならないんですよ。今回のことで、村長は悪い判断はしていないと思う。
懇談会などで「目標を示してください」というと、国から来た人たちはのらりくらりした答えで、はっきり言わないんです。
望みをどこに置くか、ということで、飯舘村に帰れないことはないと思った。
幕川温泉は飯舘村に住んでいた人の避難所なので、じいちゃんとばあちゃんと私の3人が避難したことになっています。夫は鏡石町に単身赴任していたので、温泉に泊まるときは自費でした。夫は精神的賠償ももらっていないんです。
(東京新聞 2014年5月23日(金)掲載)