~あの日から~語り継ぐ ⑨

【第9回 飯舘村に住む】

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あの日から⑨

 夫は希望通り相馬農業高校飯舘校に異動になりましたが、最初は南相馬市に住みました。最終的には飯舘村に住むつもりだったので、子どもたちは飯舘村の幼稚園に行かせました。夫が原町から子どもを連れて幼稚園に行き、じいちゃん、ばあちゃんがスクールバスで送られてくるのを迎えに行きました。

 下の子が幼稚園に入る時、飯舘村の家を直して、おじいちゃんたちと同居しました。1987(昭和62)年9月のことです。

 農業といっても、農業だけでやっていけるほどの土地はないんです。飯舘村でも広い土地を持っている家はあまりないんじゃないですか。だから、普段は勤めて、週末農業という兼業農家が多い。

 おじいちゃんは若いころ、田子倉ダム(福島県只見町)を造ったり、東京五輪のころは地下鉄工事をやったり、と出稼ぎに行ってますね。

 獣のわなを作ってイタチを捕ったこともあります。ばあちゃんにいやがられてやめたんです。皮を売ったみたいですよ。

 50代ぐらいから山菜を育てたんです。私が何が悲しかったかというと、苦労して、工夫してやってきたおじいちゃんの宝がみんな駄目になったんじゃないか、と。それが気掛かりでしたね。

 89(平成元)年、村の広報紙に「第一回若妻の翼」団員募集のチラシが入っていました。10日間の欧州旅行です。新婚旅行に行っていなかった私は、海外旅行に行けると思ったんです。若妻ですから、年齢制限もあるし、このチャンスを逃したら、行けなくなるかもしれない。保健師の仕事は、年間スケジュールが決まっているんです。団員募集を見たら9月下旬で、都合が良かったんです。

 募集は20人。区長に頼まれたという団員が多かったんですが、私は自分で役所に書類を持って行ったんです。

(東京新聞 2014年5月14日掲載)