【第3回 停電 原始的に乗り切る】
うちの前でガソリンがなくなりかけていることを示す、黄色いランプがつきました。近くのガソリンスタンドに行きました。停電で手回しポンプ消防車にガソリンを入れていました。
「ダメだ、ダメだ。緊急車両しかいれねぇぞ」と言われた。「ハイオクしかねぇぞ」と言うので、あきらめて帰ったんです。後から悔みました。ハイオクでも入れておくんだったと。
うちに帰ってから、電気を全部つけてみた。電気もテレビも、何もつかない。これって停電、と思った。隣の家に電話したら「うちもつかないよ」。
ラジオをつけたら津波のことを言っているんです。それで、相馬市で見た車の列は津波のせい、と気付いたんです。
うちはIH(電磁調理器)なので停電だと料理ができないんで「七輪で火を起こしてくれる」と頼みました。うどんをいつもの2倍ぐらいつくりました。
お風呂は五右衛門風呂なので、じいちゃんがたいたんです。本当はエコキュートをつけているんですが、五右衛門風呂の温かさがいいと、かたくなに給湯器のお湯を使わないんですよ。こたつは、炭ごたつで暖かかったです。原始的な生活のおかげで、寒くもなく、不自由はなかったですね。
ラジオを聞いていても、三陸の方の話で、緊迫感はなかったんですよ。あっちの方で、あったんだよ、ぐらい。
11日で大変だったのは、ガソリンスタンドで「緊急車だけだ」と入れてもらえなかったことと停電ぐらいだった。
夫に電話してもつながらなかった。夜、夫から電話があった。「うちは大丈夫だ」と言ったんですが、夫は鏡石町から帰ってきました。鏡石町は地盤沈下や家屋倒壊があって、ひどかった。電話も通じないので、家長としての責任感で帰ってきたんです。13日の日曜日まで飯舘村にいましたが、とうとう、電気はつかないままでした。
(東京新聞 2014年5月2日掲載)