今日は大安吉日

あることか気がかりで友人にメールしたら、「今日は大安でした。うふっ」という返信がありました。1月26日(土)暦では友引でしたが、私にとっても大安、良い事づくめの一日でした。

image

image

午後から、福島市子どもの夢をはぐくむ施設「こむこむ」でNHK のBS プレミアムで放送している「きらりえん旅」の公開コンサートがありました。ジュデイ・オングさんが市民の旅先案内人に福島市内を案内されて、お礼にコンサート招待という番組の公開録画です。夫が案内人の一人になったために招待されて行きました。折角の機会なので、姉の分を往復葉書で申し込んで入場券をgetしました。その姉から、午前には自衛隊音楽隊の演奏会があるという情報が前日に入り、雪の降る中を福島県文化センターに出掛けました。
だいぶ前に一度だけ南相馬市の体育館に聴きに行ったことがありましたが、今回は一昨年の震災時の活躍がしっかりと頭に残っていたために格別の感動がありました。
午後からは、ジュディオングさんのコンサート。これも感動の1時間。いい一日でした。

飯舘村の成人式(そして、春~福島から世界へ」

 

俳人黛まどかさんが新成人にメッセージを送ってくださった。

3.11の震災以降、福島は片仮名のフクシマ=原発事故というイメージが世界中に広がってしまった。昨年2月、ラオスに出張した折、リゾート地でフランス人のカップルに「日本の福島県の飯舘村から来た…」と片言英語で話しかけたら、「フクシマ、イイタテ、原発、放射の大丈夫か?」と返ってきた。こんな形で知名度があがってしまって悔しいなと思ったが、それを逆手に新生飯舘村にすればいいのだと今は思っている。

黛まどかさんは、歌を口ずさむと眼裏にふるさとの四季がよみがえり、離散している人々の心が一つになるように歌にしたい、福島本来の美しい豊かさを、歌を通して知ってほしいという願いを込めて作られました。

 

「そして、春~福島から世界へ」

~夏~

~秋~

~冬~

~春~

見上げれば ひとひら桜(はな)が 頬を触れて落ちた

福島の春よ 父祖が築いた 永久の地よ

手を携えて 道なき道を 標なき道を

歩こう 明日へ ともしびを消さぬよう

つくろう この手で 再びふるさとを まほろばの福島を

叫ぼう 世界へ 福島から世界へ

つくろう 皆共に 美しい世界を 世界を

眼を閉じてコーラスを聞いていると、飯舘の風景が映ってきたのは私だけではなかったでしょう。

飯舘村の成人式(この街で)

飯舘村の成人式には、毎回“いいたてお母さんコーラス”のメンバーが美しい歌声を披露してくださいます。

昭和53年に結成され、昭和55年にNHK新日本紀行にも登場しました。当時、私と夫は仕事の都合で須賀川市に住んでおり、結婚しても飯舘村には住んでいませんでした。この番組をみて、「飯舘村に住むようになったらメンバーになりたい」と夫に言ったら反対されたことを今でも覚えています。反対された理由はわかりませんが、夫は反対したことなどとっくの昔に忘れていると思います。

さて、今年披露された曲は、新井満作詞作曲の「この街で」と黛まどか作詞、千住明作曲の「そして、春~福島から世界へ」でした。

「この街で」

この街で 生まれ   この街で 育ち

この街で 出会いました  あなたと  この街で

……

この街で いつか おばあちゃんになりたい

おじいちゃんになったあなたと  歩いて ゆきたい

この街で いつか おじいちゃんになりたい

おばあちゃんになったあなたと 歩いて ゆきたい

いつまでも 好きなあなたと 歩いてゆきたい

この歌を聞きながら、この想いがあなたに通じるかなんてことを考えるのはやめることにした。

飯舘村の成人式(貧乏神と福の神)

明日14日が成人式ですが、飯舘村では一日早い成人式をが飯舘村役場機能のある福島市飯野町の学習センターで行われました。成人者82名のうち61名の出席でした。女性は全員が振り袖姿で、避難生活の中で着付けはどこでしてきたのかな?とか、お馴染みの美容師さんにお願いしたのかなとか想像してみました。そういえば、四十年の前の私の成人式は、宇都宮市で学生時代、前夜に寮近くの美容室で髪を結っていただき、1月15日の朝に、母が用意してくれた御所車模様の振り袖を寮の舎監だった恩師に着付けしていただいたことを思いだしました。私はもう還暦を過ぎているので、恩師は何歳になったのかな?とこのブログを書いていて急に気になってきました。

来賓として成人式に出席したのは2度目ですが、印象深かったことを3回に分けて書いてみようと思います。

1回目は、新成人者へのメッセージで、民話の語り部後藤M姉のお話から。

「貧乏神と福の神」一生懸命土に生きている男と嫁が、播いた種を鳥に食べられても、実った作物をイノシシに食べられても諦めることなく働き、その夫婦の所に福の神がやってきて幸せに暮らしたというお話です。

「までい」に村づくりをしてきた飯舘村で育った新成人に「までい」に生きて、力を発揮してほしいとお話を結んでくださいました。民話の中に先人の知恵を見せていただきました。

WBCにひとこと

WBCって見たり聞いたりしたら何を思い浮かべますか?

 あなたの関心や趣味や職業によって、その答えはさまざまでしょう。

 野球ファンならワールド・ベースボール・クラッシク(野球世界選手権大会)を

ボクシングファンなら世界ボクシング評議会を

 コーヒー通ならワールド・バリスタ・チャンピオンシップを

あるいはゲームの名前かな?とか

医療関係の職業の方なら、白血球のことを思い浮かべるかもしれません。

東電福島第一原発事故後は内部被爆を調べる機械のことだと思う人もいます。

 

今日は、私たち夫婦と義両親の家族4人で、内部被爆を調べるフォールボディカウンタ(略してWBC)で検査を受けてきました。飯舘村が村民の健康を守るために購入した検査機械です。安心する為に検査を受けるのは納得します。しかし、安心する為にWBCの中に入っての2分間は、とって長く悔しいものでした。

原発事故がなかったら…、適切な避難指示があったら…、こんな検査とは無縁なはずだったのです。

おそらく検査結果で内部被爆していないとわかっても、飯舘村の自宅に帰れないこの現実とは相殺されないものです。

 

 いい加減な除染が横行しているという今日の新聞報道を読んで、原発避難者の苦悩の声が届いていないという悔しさがムク ムクしてきました。

 除染の進行が帰村へ道しるべです。

どうか除染を真面目にやってください。

安全な減容化をすすめてください。

私たちの希望を踏みにじらないでください。

お願いします。

甘こうじの誕生

甘こうじが誕生したのは、ちょうど1年前の今日です。

一昨年の暮れに85歳の義父から、「塩こうじって何だ?」と質問されました。料理に使ったり、卵を焼いたりできるとTVでやっていたとか。巷では塩こうじブームで、レシピ本まで出ているのは知っていましたが、私の興味の対象外でしでしたから「味噌作る前の、こうじと塩をまぜたものでは?」と適当に答えていました。

昨年の1月4日の早朝に、義姉から「味噌作りたいのでこうじが欲しい」と電話があり、明治30年代に創業の船場のこうじ屋さんに買いに行きました。お目当てのこうじを買ってから、塩こうじを尋ねると「福島は寒いので塩こうじをつくるよりは、ねりこうじの方がいい…」と教えられ、試食させていただきました。そのやさしい甘さに感動して、作り方を教えていただきました。

早速我が家で実験。出来上がったねりこうじで卵焼きを作り、塩鮭にぬって焼いてみました。毎朝食べているヨーグルトに入れてみたら想像以上のおいしさにビックリ! 今では、欠かせない食材になっています。

今年数え年88歳になった義父の質問がなかったら誕生しなかったねりこうじです。

「ねりこうじ」ではイメージしにくいようなので、ニコニコ菅野農園では甘いこうじの「甘こうじ」として商品化しています。